根本的な問題は1つのソフトウェアUIを2つの非常に異なったハードウェア機器で使い回すという考え方にある。1つはモバイルとタブレット用、もう1つはPC用というようにデザインが2つ別々であったなら、結果はずっと良いものになっていただろう。しかしコンバーチブルなら話は違うはずだ。PCでもあり、かつタブレットでもあるというハードウェアであれば、2つのUIを併せ持つことこそが、Reasonableであろう。コンバーチブルにニーズがないのなら完全に同意できるのだが、少なくとも俺にはあるのでね。
As long as you remember her, you are not alone.を観て、言語化できそうな形で思い出した。だが抽象するのは激しく難しそうで、かといって実体験のような具象をここで備忘するのは場所柄が悪い。残念でした。
さて、以前、2chで「詭弁の特徴のガイドライン」というものが考案されました。その内容はリンク先をたどって頂ければわかります。ところが、この詭弁の特徴のガイドラインには、いくつかの誤りが含まれております。その一覧を以下に書き出します。
この間違いだらけの「詭弁のガイドライン」を盾に反論する愚か者が次から次へと湧いて出た時期があって、腹を抱えて笑ってたことがある。お前らのやっているそれこそが詭弁なのに、と。
前提が結論を正しく支えていない主張だという。じゃあこれはなんだ。詭弁-ネガティブな言葉の印象に頼る(感情が充填された語)。前提も何も、ただの修辞じゃねーか。論理、非論理と修辞は、関係ないとは言わないが別のものだし、たかが修辞によって論理的であると思わされてしまうとしたら、読解力が足りなすぎる。修辞がなかったら論文なんて味気なくて仕方がないだろう。
論理的に述べることが出来ない人は、充填された語に頼った主張を頻繁に行います。という主張にだって何らの科学的根拠はない。詭弁を批判している自分が詭弁を使ってどうするんだ。
エンディング後にあった文字というのは、あの物語という具象に関して言い表したものではないと、俺は感じ取ったんだがね。まあ別に答えがあるわけではないし、何でもいいんだけど、おんなじような批評ばっかりで飽き飽き。これ以上追跡するのは止めた。
会議のメモなど、一つのテーマが連続して書き込まれるものについては、それを単位として切り取る。そうでないものについては、埋まるまで同一ページを使っても良い。ページが埋まるまでの間にテーマが発生した場合、新しいページに書き始める。
伝言は「to」、日時は「@」
赤は当日のtodo、青は電子化予定
自ら強力であって、かつ後継者が強力であるという真のリーダーは、一般に信じられている大人物とは、見た目も行動も大きく異なる。カリスマ性なるいかがわしいものとは無縁である。彼らは、勤勉さと献身によってリーダーとなる。権力を集中させずにチームをつくる。操作によってでなく、真摯さによってリーダーとなる
mklink /d 削除したフォルダのパス ネットワーク上のフォルダのパスを実行します。例えばこのようになります(ネットワークドライブレターがLになっています)
mklink /d C:\Users\yourname\share\音楽 L:\音楽
Webも人間社会と同様、健全な多様性こそが、進歩の動因なのだ。
真犯人は別にはいない、ということを、もっとはっきり証明できる。 仮に真犯人がいたとしたら、容疑者Kがちょうどあの猫をつかまえていじっているところを観察していたことになる。(さもなくば翌日に同じ猫の首輪の画像をとらえることができない。)