こういう世の中である以上、「ソーシャルなんて嫌いだ」 などと言おうものなら愚か者決定だ。 しかし、今日グルグル回りながら見てみて、やっぱ無理だと思った。 私は根本的にゲームにおいて他人の存在を必要としてない。 一緒に遊ぶのが楽しいこともあるが、それは生身で横にいる人だけで十分だ。 非同期のコミュニケーションとか、世界への参加とか、 いらねえ。私はゲームなんてなくても今この世界に生きて 人とコミュニケートしている。いうならば私はリア充であり、 別の世界を必要としていない。 ネトゲも結局一回もやらないまま今まで生きてきてしまったが、 たぶんあれも私には無理なんだろう。
イートン・カレッジを卒業。学校で何千匹もの毛虫をガに育てるなどして教師に嫌われ、15歳の通信簿では、担任から「生物学分野への進学を考えているならば、それは全く時間の無駄だ。そんな考えは直ちに全て放棄すること。」と記された。
異常だな。ジョン・ガードン氏も担任教師も。つまりこういうことだ。「異常」なんてのは何の批判にもなっていないのさ。
パソコンを真に必要とし、作成、編集、加工といったクリエティヴな(つまり創造的な)使い方をしていた人は、どうあってもパソコンから離れることはできません。
この差は技術の進歩で少しずつ縮まつていくとは思いますけど。
という本質をついたような意見は稀にしか見かけない。
「普通ならば、何かを書くときには、じっくり考えてから書くものだ。しかし、ツイッターでは、頭で考える時間もなく、瞬間的な感想だけを書く人が多い。そして、その瞬間的な感想が、ツイッターで拡散していく」
これを一言でいえば、こうだ。
「ツイッターは、デマを拡散する装置である」
瞬間的に頭をよぎった「よしなしごと」があっという間に公開されて無責任に広がっていく。俺もこの方と全く同じく、問題の本質は虚構新聞ではなくTwitterにあると思っていたしそういうことを書いた記憶があるが、この「瞬間的」という捉え方が異なる、というか上を行くというか。
なお、既存の方法では、「完全なブラインドタッチ」は不可能だ。
- 入力ミスでBSキーを押すと、指がホームポジションから離れる。
- 漢字の変換や確定の際に、指がホームポジションから離れる。
これらの問題があるので、「完全なブラインドタッチ」は不可能となる。
え?1を押したって@を押したってホームポジションから離れるだろう。そんなことを言っていたら何も押せなくなる。まあ「ブラインドタッチ」なる化石のような和製英語を使っていることからして、もしかしたらホームポジションの意味が違うのかもしれないが、そうだとしてもBackspaceを押すのにキーボードに目を移す必要などないし、変換や確定だって同じ事だ。
恐らく、この「完全なブラインドタッチ」というのは、日本語のキーボード入力において多用するであろうBackspaceやSpaceを、ホームポジションからほとんど指を動かさずに押せるようにすることで、全体的なタイピングの高速化を図るということなのだろうな。
約1.14kg。耐久性も高い。
歴史を振り返ると、PB商品は景気が悪くなるたびに脚光を浴びてきた。
『「自分で卵子と精子」はクローンでなくて何か? 血縁度100%の究極の近親婚だ』という部分は二通りの解釈が可能である。一つは『「自分で卵子と精子」はクローンではない。クローンではなく「血縁度100%の究極の近親婚」である』という解釈。もう一つは『「自分で卵子と精子」がクローンでないとしたら何だというのか。「自分で卵子と精子」はクローン、つまり、血縁度100%の究極の近親婚のことである』。後者であれば安藤茂彌氏と同じ誤りに陥っているということになる。念のためにご本人に確認したところ、前者の解釈とのことである。
頭が悪いのだろうか。
「自分で卵子と精子」がクローンでないとしたら何だというのか。
「自分で卵子と精子」はクローン、つまり、血縁度100%の究極の近親婚のことである
訳が分からん。こんな矛盾した解釈はあり得ないだろ。
この私の記事に対する南堂氏による反論も概ね予想できる。おそらくは内容についてはまともな反論はできず「トンデモマニアが誤読で的外れな批判をしている」というものであろう。どちらか正しいかは読者が判断することである。最低限の科学リテラシーを持った読者なら、南堂氏の以下の主張を読んだだけで正しい判断ができるであろう。
Q 学会誌に投稿すれば?
A 学会誌というものは、既存の学会を発展させるためにあるのであって、既存の学会を全否定するためにあるのではありません。そんな論文は、ボツです。(「おまえらみんな間違っているぞ」と言われたら、誰だって、怒り狂うでしょう。)
「天動説」学会に、「地動説」の論文を提出しても、ボツは確実です。ガリレオの場合、猛烈な批判を浴びて、吊し上げでした。宗教裁判。彼はひどい実害を受けました。
正しい判断が下せると思ってしまうのは、科学的態度とは言いがたい。せいぜい「南堂氏は疑わしい」と思う程度。まあともかく中身を読んでみようか、という程度の判断しかできない。
一週間ほど前、私が何らかの検索ワードによってOpen ブログ: ◆ Facebook と はてブに辿り付いた時に思ったのは、「この人ははてブの匿名性を批難しているのに、自分の素性を明かしていない不思議な人だなぁ」ということ。
何もおかしなことはない。匿名か否か、という明確な線は存在しないからだ。こんな簡単なことも分からないとは。物事を抽象することが苦手というか、そういう脳の働きに欠けている人間のなんと多いことか。
論文を公開したり、出版したり、サイトを公開したり、そしてそのサイトが長く続いていたり、あるいはコメント欄などで意見交換をしたり、生活を語ったり、そういう諸々の活動、いわば色素を通じて、匿名性という透明度というのは徐々に低下していくものだ。正確に言えば、そういった活動がひとつの記号でリンクしている必要がある。記号というのは例えば「ekken」みたいなハンドルでも何でもいい。南堂の場合、素性を明かしていなくても匿名性は極めて低い。
田中氏は「答申を覆した」のではなく、答申を受けて認可しなかったのだ。大学設置審議会の答申には法的拘束力がないので、彼女の決定は適法である。問題は、大臣が決裁すべき事項を決裁しただけでこれほどの大騒ぎになるまつりごとの構造である。
「まつりごと」は知らないが、ともかくこの国は何かがおかしい。少なくとも自民党を支持するセンスは狂っている。
しかし、このように雇用を目的に入れている中央銀行は他にない。それは中央銀行が雇用を最大化できる理論的根拠がないからです。
確かにそう学んだ。俺にはFRBこそ「ならずもの」に思える。権威主義的なものの考え方しかできないと、アメリカの中央銀行という肩書きを見ただけでその政策の根拠があると盲信してしまいがちで、そこが怖いところ。
「ハイパーインフレが怖いから一切禁止」という理屈。「大酒飲みになるのが怖いから酒は一滴も許さず」というのと同じ。理屈ではなく感情論。経済学ではなくて素人判断。それを正当だと認めるのがインチキ経済学。
本コラムの読者なら、ニコ生で筆者が池田信夫氏と討論したことを知っているだろう(http://live.nicovideo.jp/watch/lv115967379)。直接討論するとどちらがまともかはすぐわかる。橋下徹大阪市長を含む多くの読者はニコ生を見ていて、筆者の勝ちといっていたようだ。
さも簡単そうに、実務経験を交えて話していたので、説得力を感じた視聴者は多数いたようだ。だが実際には理論的に論拠のない話に終始していた。それに視聴者が判定したのは勝ち負けでも、どちらがまともか、でもなくて、「どちらがわかりやすいか」だったよねえ。この男の虚言癖が垣間見えるではないか。ホラ吹き。
そもそもだ。メディアが騒いだり批判の的になっている「日銀引き受け」というのは日銀による国債の直接引き受けのことだということは文脈から読める話だろうに、買い切りオペを「日銀引き受け」に含む広義の解釈で言葉を使って、「前からやっていることだ」と得意げに話すというのはどうなんだろう。ホラ吹きの典型的な特徴だぞこれは。