Jintrick.netagenda2002年03月アーカイブ → 2002年03月28日

「個人の自己満足サイト」は99%有害

閲覧者の立場からこの表現を用いれば、それはサイトの評価になるわけだけれども、制作者の立場からこの表現を用いると、責任放棄、向上心がないこと等への言い訳になる。

どちらにしろコンテンツそのものには全く言及されていないので、こういう言い回しをされたところで、閲覧者の立場からすればそれがどういう、なにを扱ったサイトなのか分からないし、制作者の立場からすれば、だから具体的にどうすれば良いのかさっぱり分からないので「ああそうですか」と頷くより他ない。

「自己満足」にやたら拘ることは、理解できる。それを自覚していないと思われる文章などがたくさんあるからだ。ただ、誰しも無自覚だと思ったら大間違いである。むしろ、そんなことは分かりきっており、それを受け入れつつ何をどうすれば良いものができ上がるかと考えている制作者の方が多い。少なくともFlashの是非だのユーザビリティうんぬんの話に興味を持つ人はそうだ。

と、ここまでは以前書いたことのある内容の焼き直し。ここからは「自己満足」そのものとどう向き合うべきかについて。

個人サイトを見るときには、いつもそのサイトが、どういった歯車で運営されているかを推測してしまう。雑ながらそれは、「自己満足」「伝達」「小銭」「名声」「向上心」「義務感」に大別されるように思う。いずれかが満たされればサイトの運営が続けられる。

この中でも「自己満足」は特別なものであって、向上心が満たされれば、あるいは義務感が満たされれば、ちょっとした自己満足に浸ることもある。どの要素にもある程度結びついているはず。あまりうまいとは言えない比喩を使うと、自己満足という小さな歯車で、各々の大きな歯車が回っている。

しかし恐ろしいことに、私はこれらを全て否定したい。

……というのはこの文章の見出し同様アイキャッチで、正確には「形式上、否定的な立場をとる」。例え自己満足がサイト運営の本質であったとしてもだ。

これらの歯車は、ある名目的な(理念的な)サイト運営の目的を満たす為の糧であり、それらを利用していると自覚していたい。必要だけれども、その為にやっているとは思い込みたくない。何故なら、歯車共の動きはその時その時の刹那的なものだけれども、文書、コンテンツは恒久的なものだからだ。

と、やはりこういった文章を書くと、自分を再認識する結果に。

「いまこのとき」を大切にしているか、「ふへん」を大切にしているかで随分結論が違ってきます。私は自分が死者である、そうありたいと、やたらと主張している。私の書く「べき論」は、すべてそこから出発しているのか。

いかんね。進展がないという意味で。


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公開: 2002年03月28日
カテゴリ: misc