Jintrick.netagenda2008年11月アーカイブ → 2008年11月14日

Re: 誰が為にブログを書くか

どこかの誰かが書いたものがオレの助けになったお礼に、どこかの誰かがいつか読む日の為にオレは書いている、について。

かなり私の考えに近い感じなのだけれど、決定的に違うのが、「書いている」という点。私の場合、書くという行為は、個人的なもろもろの事情によるもの、平たくいえば「自分のため」のものなのだが、それがウェブ上に公開しても問題ないものであるとき、その時に限り公開する。

この「オレは書いている」と「オレは公開している」の違いの本質は何か。それは「見返りを求めないで済むか否か」だ。誰かの為に自分の何かを犠牲にすると、必ず何らかの見返りを求める結果となる。自分に何の損もなければ見返りを求めずに済むのだ。

で、なぜ見返りを求めてはいけないか、について以前書いたものを公開してみる。簡単に言えば、これは単なる自分のなかの教義に過ぎず、全く取るに足らない。Jintrickに特別興味のない人が読むべき内容ではないことを断わっておく。今ではニュアンスに微妙に違和感があるので引用の形にしておこう。

昔はTBL、というかWWWそのものへの謝意があり、そして様々な情報を無償で、ほとんど何の見返りも求めずに公開してくれている偉大な先人たちへの謝意があり、ささやかながら何か自分も、という気持ちがあった。しかし今は違う。TBLを尊敬する気持ちは別に変っていないとしてもだ。ほとんどの人が「ぶろぐ」という形で情報を公開して、必ずといっていいほど、露骨にといってもいいほど、見返りを求めている。それ自体は歯車を回すために必要なことでもあり、むしろ健全であるとさえいえるだろう。しかし、アフィリエイトやコメント欄がなかった昔だって、それらがあれば誰もが利用していただろうよ。つまり私は騙されていたわけだな。蓋を開けてみれば自己満足ブログパーツや報酬コメント蘭、報酬トラックバック機能、小遣い稼ぎリンク等々であふれかえっていて、コンテンツなんかおまけ程度というか、ハナっからそれらの報酬を目的とした手段扱いだ。

怪しい自己分析をすると、どうやらそのあたりのコンプレックスで「ウェブで見返りを求めることが許せない」が自分の中でドグマ化したらしい。実際には単にブログを管理するためのソフトウェアが、デフォルトでそういった報酬系の機能を搭載しているというだけ、つまり表面上そう見えるだけで、今も昔もたいして変わらないのだろう。だがとにかく教義と化してしまったんだよ。

そしてこの教義から導き出されて、「自分のために書き」、「もったいないなら公開する」という態度が生まれたわけだ。正直に書くというのは恐ろしいことだな。


webmaster@jintrick.net
公開: 2008年11月14日
カテゴリ: agendaについて