Googleリーダーで何故か新着記事になっていたが5月26日となっている。まあそれはそれでいいとしてもだ。
失言(とされた文章)を(納得していてもいなくても)削除することの何がいけないのか。批判者の指摘が宙に浮いてしまう? それが何だっていうの。
単にInternet Archiveを探す手間が増えるだけだもの。それを含めて根こそぎ削除する人も稀にいるが、リンクを辿ろうとした閲覧者が苛立つことになる。閲覧者の視点が欠落している。公開されたドキュメントがまるで私物同様の扱いではないか。
もう一つ。公開された文書中の文章について、それが失言であるかどうか、正しいか誤っているか等々を判断するのは読者だ。その議論は当事者達の私物ではない。公開された議論であるという視点が欠落している。
ともあれ、恥じ入って逃げ隠れた悪を引きずり出して、公開処刑しないと気が済まないような正義の味方には、違和感を覚えます。
それ、正義の味方じゃないから。全然関係ない話だけど。わらい。
おっと重要なことを書くのを忘れた。結論から言えば、私は徳保氏と同じく「別に削除したって構わない派」だ。しかしその結論に到達する過程が恐らく全然違う。「公開された文書」という視点を持たないものは、いつか必ず文書を削除し、ウェブパブリッシングの世界から消える。どうせ消えるなら早い方がいい。