Jintrick.netagenda2008年08月アーカイブ → 2008年08月07日

(糞)議論について

基本、agendaは「不愉快」だから。エンターテイメントじゃないんだし愉快な文章なんて書いていられるか。あと、一人というか特定の人物(達)に向けての文章なんてウェブには公開しないので、タイトルに「Re:」とついていてもメールのそれとは全然意味が違う。敬体なんかを使うのを完全にやめたのはその立場を自分の中ではっきりさせるため。後で自分で読んだときに命題を追いやすいし。丁寧語を使って、あたかも誰かと対話しているかのように、表面上はしおらしく議論していた昔の自分の記事が、薄気味悪くって仕方ないよ。場違い。丁寧に相手を非難するとか、最悪に気色悪い。

議論の定義等

私の「議論」の定義は、「自分の考えと相手の考えを表明しあうこと」程度の、極一般的な辞書に載っているそれと同じであって、「ウェブで議論はしない、できない」と表明している人達等のいう、討論とか対談、建設的あるいは実のある論議とかに限定されるものではない。あくまでも普通の意味で使っている。

正しい」もそう。「道理にかなっている、きちんとしている」という程度の、一般的な辞書に載っているそれと同じ。決して絶対の真理を否定するわけではないが、絶対の真理を「正しい」と形容しているわけでもない。

上記二つのように、言葉を変な意味で格好つけるために使う人は多い。昔書いたが「方法論」を変な意味、というか単なる「方法」の意味で使っている人も多いな。これはあまりにも多すぎて、そういう意味が既成事実になりつつある、らしい。wikiぺディアにそんなことが記載されていて仰天した記憶がある。はいはい言葉は生き物言葉は生き物。

糞議論について

糞議論についての俺定義を以前メモしておいたのでこの機に公開しておく。今現在は少し違和感があるので引用の形にしておこう。

1. まずgoalのないものが糞議論だ。何を目指しているのかがはっきりしていないもの。そのために目先のgoalがコロコロ変化するもの。論点が変化するという形になって現れやすい。ちなみに参加者全員のgoalが一致している場合、いわゆる建設的な議論となりやすい。「この議論は議論かどうか」に論点が移そうと必死になっているケースも散見されるが、大抵の場合自分の意見が(正しいかどうかは別として)否定されていつまでも認められず、発狂しているだけなので面白い。

2. 人格否定。死ねばいいのに、とかそういうやつ。ただ閾値が低めな人もいて、ちょっと違和感あり。ちなみに私は昔「馬鹿は黙れ」と言われたことがあるが、特に人格を否定されたとは思っていないし、そんなことでギャーギャー騒ぎたくもない。まあ興ざめには違いないので私はやりたくないけど。

3. 「言った、いや、言っていない」の応酬。単純に糞つまらないから糞議論とした。悲しいけど最もよくあるパターンがこれ。文章を厳密に読めば、「言っていない」つもりでも「言った」ことになってしまうことはざらにある(逆もまた然り)ので、まず確認を取ることから始めるべきなのだろう。確認を取る前から「お前はこう言った」と断言した瞬間から、誰も興味の無い糞議論が始まる。自戒をこめる。わざとか天然かは知らんが、曖昧な文章でぼそぼそっと批判されるのは腹立つ。逃げ道沢山作りやがってこの野郎、と。そういうダサいことするなら「芸」というか、自分を含めて誰かは笑える形にしておきたいところ。

4. 前提知識のかけ離れた方面からくる「野次」にまともに反応すること。本気で全く実がないので、これは暇なときにネタにして笑い飛ばすか、でなければさすがに「スルー」するしかないだろう(注:現在は特に拘らない)。

5. 「最後っ屁」。これはちょっと毛色が違う。糞議論とかいう以前に、面白すぎて耐えられない。絶対ネタ扱いになってしまう。ある意味大歓迎だが。

現在4.は特に糞議論とは思っていないので、真剣に対応することもある。筈。

追記

書くのを忘れた。前にも書いたが、ウェブで「糞議論」はしない。これはスルーとかそういうことではなくて、方針。自分のウェブログに載せる価値がゼロなら、公開しない。


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公開: 2008年08月07日
カテゴリ: agendaについて