「情報が持つ属性」と表現すると、情報(コンテンツ)の内容を表現する属性と想像されがち(「セマンティック」だし)ですが、実際には著者や作成日時を始めとした、情報の形式属性(外部属性とでも言いますか)を規定することに主目的があるように見えます(先に「単なる形式属性を記述するための規定」と書いたのは、こういう意味です)。その意味で、セマンティックWebという用語はやはり良くないような気がします。誤解するのが悪いというよりも、誤解してくれといわんばかりの用語選定がちょっとアレかなあと。
情報(コンテンツ)の内容
ってなんだろ。コンテンツの内容? そしてそれを表現する属性
? 誤解してくれといわんばかりの用語選定がちょっとアレかなあと
って、自分を棚に上げちゃあいかんよ。
推測すると、例えば自然言語で記述されたセンテンスがあったとして、それが何を意味しているかを表現する手段だろうか。表現すれば良いんじゃないかな。RDFで。「私はカメラを持っています」とかも表現できるし。こういうことではないのか、良く分からんけど。
著者や作成日時を始めとした
、とあるから、「情報の形式属性」の意味は分かった。情報というかリソースだけど。要するに主語になりうる全て。情報だけではなくて。
「主語、述語、目的語」のワンセットをどう表現するかがRDFという規格の役割で、「形式属性」は更にそのなかの「述語」に過ぎないわけで、セマンティックWebと等号で結ばれたらそりゃあ驚く人は驚くだろう(参照:メタデータ、あるいは何だかなぁ)。