アーカイヴにおいては、特定のURIによって特定の「内容」(の記事)を示すことが期待され、通常、そのように管理されます。一方、最新版のURIは特定の「内容」に対応しているのではなく、最新であるという「属性」なり「性質」なりに対応しています。存在理由と利用目的が違うのです。目的の違うものを等価に扱わなければならない必然性はないと思います。
そういうことなら分かります。また、同意します。
質問に答えます。
まず、逆にお尋ねしますが、agenda の最新版には「最近の記事一覧」という大きなセクションがあります。アーカイヴにはありません。なぜ差別化したのですか。「最近の記事一覧」は Sophisme さんの考え方によれば、冗長なナヴィゲーションではないのでしょうか。また、これによって「memoryが汚され」ないのですか。
それは文字通り最新版だからです。agenda最新版は、「agendaの最新の記事」を提供する目的ですから、「最近の記事一覧」はナビゲーションではなく、コンテンツです。過去の数点を含めて「最新の記事」ということになります。例えば、閲覧者の視点で考えるなら、仮に前回の記事を見逃してしまった場合、その前の記事と、今回の記事が最新の記事ということになります。ただその中でも最も新しい記事が主役であることに変わりは無いので、その他は、概要を提供するに留めたというわけです。それによって、より長い期間を「最新」の範囲に入れつつ、ファイルのサイズを節約できます。
何故「ログですっきり読めること」が、最新版のナビゲーションは冗長性を持たせてよい理由になるのでしょうか。それとも、アクセスが集中している、ということが理由ですか? 何故、アクセスが集中していると、最新版のナビゲーションに冗長性を持たせてよいのですか?
という私の質問。それについてSu さんは 4つ(3つ?)の理由 を挙げてくれました。Suさんは4つを総合して結論とされていますので、一応全て検討してみました。
「日記」では、特定の「内容」を参照する場合、アーカイヴのURIを利用するのが一般的です。アーカイヴにおいて特定の「内容」と特定の「URI」が結びついているということも、記述の通りです。ですから、「内容」との関連性が強いアーカイヴにおいては、「内容」に集中できるよう、すっきりと見せることを優先するのがよろしいのではと考えています。まだお答えになっていませんが、とりあえず、このことが一つ。
文書中心に考える私としては、内容
が主役なのですから、内容と関連の薄いものをばっさり削るのはごく自然なことであり、その意味でSuさんと同じ考えです。それがスッキリ見えるかどうかは表面的な結果ですけれども。
次に、最新版にアクセスが集中しているということは、つまり最新版を参照している文書が多いことが予想されます。実際にアクセス・ログを読めばはっきりすると思いますが、ほとんどの場合、複数の公開アンテナでしょう。参照元が多ければ、それだけ一見さんがやってくる可能性も高いということ。これが二点目。
「一見さんがやってくる可能性が高いならば、ナビゲーションに冗長性を持たせてよい」と解釈しましたが、 やはりSuさんは、Suさんの想定する読者、即ちこの場合「サイトのことを知りたがっている一見さん」にとって最適な解を求めているということになります。それはそれで全く問題ないと思います。
三点目としては、「どういう閲覧者が、どういう目的で、どういう利用の仕方をするのか」わかりませんから、ログと最新版でたまたま記事が被ることを利用してもよいということ。見せ方を変えてみて、閲覧者に好きな方を選んでもらえばよろしいでしょう。
この「三点目」についてはよく分かりません。「閲覧者のことを知り得ないならば、ログと最新版の見せ方を変えてよい」。 論理の筋道が見えません。また、仮にこの命題が真だとして、ナビゲーションを冗長にする理由とは無関係です。
最後に、三点目とほぼ同趣旨ですが、アンテナ設置者が「最新版」を捕捉しなければならない義務もないこと。アーカイヴの方が読みやすい方は、アーカイヴを捕捉すれば良いでしょう。通常、どちらを選択するかは、あくまでアンテナ設置者かつ閲覧者の裁量に任せられています。最新版を捕捉するようにアンテナ設置者に求めることは、リンクをトップページに限定するのと同様の行為だと思います。
「アンテナ設置者が「最新版」を捕捉しなければならない義務はない」それはそうですけれども、ナビゲーションを冗長にする理由とは無関係です。
4つを総合すると命題が見えてきませんが、二つ目の「一見さんがやってくる可能性が高いならば、ナビゲーションに冗長性を持たせてよい」で十分納得しました。やはり Su さんは、「そのサイトの情報を知りたがっている一見さん」にとって最適な解として、最新版の日記に沢山のナビゲーションを提供しようと考えていらっしゃる。
というわけで、文書中心に考えても、最新版はちょっと特殊な文書と言えるのではないでしょうか。その意味の違いを抜きにしてアーカイヴと等価に考えるのは、ちょっと違うのではないかと思います。
Suさんの主張によると、最新版の存在意義は最新であるという「属性」なり「性質」
にあった筈です。私もそう思います。また、強く同意します。そして私は、その点を最重要視します。別に保存版(アーカイブ?)と等価に考えているわけではありません。ただ、アクセスログからは独立して両者を評価していることは確かですが。
従って、文書中心に考えるからこそ、「最新記事であること」を大切にして、それ以外の要素は可能な限り削ります。言い方を換えますと、「最新記事であること」が存在意義であるリソースであるならば、閲覧者がそこに求めるのは「最新記事であること」であると予測し、閲覧者が求める「最新記事であること」以外の要素は可能な限り排除します。これが、文書中心の考え方です。ですから、文書を中心に考えることは、別に閲覧者を想定しないわけではありません。ただ、その想定する閲覧者が、文書を中心として自動的に決まるということです。