この「人間同士は気持ちを互いにわかりあえる」という文を逆から言ってみると、これがいかに恐ろしい思想であるかが見えてくる。「人間同士は気持ちを互いにわかりあえる」ということは、逆に言えば、「気持ちをわからない相手は人間ではない」という恐ろしい発想になる。だからシミンは、どうしても気持ちがわからない相手、例えば、ヤクザ、浮浪者、特定の宗教団体構成員、などを、人間扱いしない。
思いやりのある人たちへ より
「人間同士は気持ちを互いにわかりあえる」
という文は、文であって命題ではないのだから、この文から「気持ちをわからない相手は人間ではない」
なんてものは導出され得ない。そういう「発想」が出てくる可能性はあるが、決して必然ではない。そしてこういった誤謬を積み重ねて珍妙な結論を導き出している。
ちなみに「あらゆる人間は、お互いの気持ちを分かりあう」ならば「気持ちが分からない対象は人間ではない」といえる。しかし、「あらゆる人間は、お互いの気持ちを分かりあう」と主張するのは気違いだ。滅多にいない。むしろ見たことも聞いたこともない。
シミンは多数だが、幼児的であり、一方的である。シミンを言葉で説得するのは困難である。シミンに対抗していくには、シミン以外の者が存在をアピールしながら、シミンたちの意識を成長させていくしかない。
隠れている非シミンのみなさん、シミンたちの横暴がこれ以上広まらないよう、少しずつ活動を開始しよう。少数意見を遠慮なく言える社会を求めて。対話のある、豊かな社会を目指して。
思いやりのある人たちへ より
シミンを言葉で説得するのは困難である
、などと、対話を拒否するような主張をする人間が、対話のある、豊かな社会
を目指していると放言する。この主張は、その「シミン」とやらへの差別意識を助長するものである。人間を都合良く分類して自らのエリート意識を確認する作業はあまりに憂鬱なので、存在をアピール
なんて御免だ。
人様を分類するときには覚悟を決めろ、という話。