以下「閲覧者主体のウェブデザイン否定」箇所の手直し案。
「別窓」は、適切に利用されるなら初心者にとって便利なものかも知れません。グローバルナビゲーションも同様です。迷子になりやすい初心者にとっては便利かも知れません。一方両者は、サイト制作者の「エゴ」の押し付けである点で共通しています。前者が「このリンクは別のWindowで見るのが便利なのだからそうしろ」ならば、後者は「私のウェブサイトはこういう形をしているのだからこういう風に認識しろ」という押し付けです。
要するに私の嫌いな「程度の問題」というやつです。一個人サイトの運営者が、どうしてその「適切な程度」とやらを判断できましょう。どこからどこまでが初心者ですか。
ゆえに私は、閲覧者を主体に考えたウェブデザインというものを、手段として否定します。もちろんそのような考え方は好ましいものですが、それを追求する手段として、間違っていると言いたいのです。
では何を主体に考えるか。アクセス数が多かろうと少なかろうと、閲覧するのが初心者だろうと上級者だろうと、それらと無関係な存在でありつづけるものがあります。それが今在る文書です。文書内容を主体に考えるべきです。その文書がある形式を望んでいるのかどうか、それこそ、制作者が制作者として考慮に入れるべき事柄ないでしょうか。
書いていたら、対立コンセプトの表現が間違っていたことに気づいた。散々書き散らしてしまった「制作者本位」という表現は、制作者のエゴと捉えられかねない。ユーザーと対話するのは「制作者」ではなくて「文書」だった。何故このような間違いを犯してしまったか。表現について観念上の言葉遊びをしてしまったから。