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議論 - 2 -

問題なのは「主張する結論」が先行していること、言い換えれば、議論に勝つことが目的になっていることです。ここで、そういった目的の議論は、果たして議論と呼べるのか、というテーマについて、話し合うことになりました。つまりディベートを含めるか否か、「議論」の定義から始めたわけです。

そんな折、Yahooが「あなたは掲示板に何を求めていますか?」という主旨のアンケートを行いました。そこで私は衝撃を受けたわけです。つまり、最も多かったのが「争い、喧嘩」であったという事実にです。

そこで、私はこの「争い、喧嘩」という要素を、スマートな形で、「味付け」という形で議論に盛り込む事を、積極的に肯定してはどうか、という提案をしました。

しかし私の「Yahoo掲示板においては喧嘩は必要悪である」という前提は、物凄い勢いで拒絶されたのです。せっかくアイデアを幾つか用意していたのですが、前提そのものが受け入れられなかったので、私はこれ以上は無駄だと判断し、他のメンバも無駄だと気づいたので議論は終了しました。当然の結果です。全員が前提の大切さを認識していましたから、その是非は、全く別のテーマになることを理解していたのです。

議論への献花

ところが、「議論好き」の多くは、論点が明確になることを敢えて避けているのではないか、と私は疑います。前提や論点が明確になると、「大好きな」議論が終ってしまいますから、極めて広範な前提を掲げて、さも難しそうな議論をでっちあげてしまうのです。しかし私はそのようなものに興味がありません。何故って結局結論は「人それぞれ」に落ち着くのに吐き気がするからです。混沌とした議論の結果は、決まって「人それぞれ」か、あるいは「喧嘩別れ」に決まっているんです。

「混沌」の原因には、広範な前提の他に、曖昧な定義、語義の一定しない言葉などがあります。これらを私は「議論への献花」と表現しました。いかにも華々しい議論に仕立ててしまいますが、それ以上の意味は無いものだからです。

ちなみに、「単なる」は、trivialの意味で使いました。>伊藤さん


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公開: 2002年01月27日
カテゴリ: misc