例えば、何かを説明するのに、あるモデルを提示しており、それ以下にはそのモデルを例として延々と説明が並べられているとしたら、私なら、新しい窓を開いてそのモデルを左に、説明を右に並べて閲覧しようとする。これが面倒。
というわけで、任意の要素だけを、スクロールに追随させる機能を考えてみたい。
できそう。ただ、BODY直下にテキストを記述している、または段落を全てbrで整形しているページでは絶対に無理。いや画像くらいなら何とかなるか。
などと考えていたら、このサイトのUser Interfaceについて案が浮かんだ(全然関係ないのに)。
CSS切替(調整)だの、更新履歴生成だのといった機能は、全てサイトマップの現在地表示部にセレクトボックスのオプションとして纏めてしまおう。とかいう感じで。で、ページによってどういう機能が必要かは違ってくるから、サイト構造ツリー(Personnel.js)の節にプロパティとしてその情報を付け加えてやれば良い。そうすれば、BODY内にスクリプトを埋め込む必要は無くなる筈。サイトデータは、サイトマップの為だけに作ったわけじゃないということを実証できるかも。
ウェブサイト幻想論を打ち破るには、各細胞が固体の構造上の情報、それも全く同一の、をもっていることが必要条件だと考える。目指しているのは使いやすさではない。使いやすさは今後User Agentに任せるのが最適解になってゆくだろう。
そういえば、「機能美ではない」とか言っていた人がいた。「機能美というもの」にタイトルが変更されているが。「ほーむぺーじ論」を眺めていると、こんなのを見つけた。
コミュニケーション…はっきり言ってこれは非常に大切!なぜなら、コミュニケーションがあってこそ、自分のページを見てくる人がいて、相互リンクもでるわけで、またそれがホームページの発展へとつながっているわけです。ですから、コミュニケーションはどんんなページ作りにも欠かせない要素であるに違いありません。
ほーむぺーじ論|コンセプト編|コミュニケーションとフィードバック より
「コミュニケーション」を、「ハイパーリンク」に置き換えると、素晴らしい文章になる。ところが、この「コミュニケーション」とは、電子メール、掲示板、チャットのことであるらしい。「なぜなら」が全然「なぜなら」になっていないし、「ですから」が全然「ですから」になっていない「ほーむぺーじ論」を見て感心できる人というのも、また不条理の世界に住んでいるのだろう。
その「ほーむぺーじ論」の掲示板より。
最後に、わかってもらいたのは、本サイトは「論」として展開しているということです。良い悪いか、正しいか正しくないか、ではなく、あくまで私はこう考えるという、「考え方」を提供しています。
Re:例えば2 / Kei 01/10/22 (Mon) 1:11 より
あくまで私はこう考える
、といった類のものを、「論」とは呼ばないので、わかってもらいたい
と言われてもそれは無理というもの。反論があると、「考え方を提供しているだけ」と言ってそれを一切取り入れようとしない。話し合っても無駄だと主張する人間に、誰が好んでフィードバックなど送るものか。表面上でいくら寛容な態度を取ったところで、私は騙されない。掲示板というのは本質的に馴れ合うか喧嘩をするかという場所。切磋琢磨の場であるなどというのは理想に過ぎない。
人は、他人の思想を謙虚に聞くためには、その他人と師弟関係を結ばなければならない。師は、師たれ。弟子は、弟子たれ。中途半端な関係ではその人の思想を理解することはできないし、理解させることもできない。
って何の話だこれ。最近、タイトルをつけても無意味な文ばかり書いている。