ちょっと一休み(謎)。いつだったか「HTML原理主義者」という言葉を笑い飛ばすために、軽く文章を書いたので、推敲して公開しておく。
なんだこの気味の悪い二人は。
そもそもそれ、HTMLではないローカルなMSHTMLアプリケーションの類だろう。そのローカルなMSHTMLアプリケーションにHTMLの文法を持ち込もうとしたこの「T君」こそ、正しい意味でHTML原理主義者と言えるわな。過激ではない
とあるが、私に言わせればこのT君こそが超過激なHTML原理主義者だよ。何故ウェブページの例ではなく、講義で使うMSHTMLアプリケーションなんかを例に取ったんだろう。絶対わざとだろ。
しかしふと思ったのだが、世にいう「HTML原理主義者」はどうも異色だよな。Pという言語があって、P原理主義者と言ったとき、それは「Pの文法を守れ」と説教する人のことか? 違うだろう。「Pで書け」風なことを言う人達のことだろう。あるいは、Pの思想で他の言語を批判する人たちのことだろう。それはプログラム言語とマークアップ言語の違いかなと思ったが、マークアップ言語Xがあったとして、X原理主義者というのはやっぱり、「Xで書け」と主張する奴だよ。「これからはXの時代だ」とか言ってな。でも「Xで書くならXの文法を守れ」と主張する奴をX原理主義者とは呼ばない。でもHTML原理主義者だけは全然違う。文法を守れという奴がそう呼ばれる。言葉を用いるセンスが幼稚という問題は置いておいて、これは何を意味しているのだろう。
以上のような疑問は、ある仮説を立てるとうまく説明できる。つまり、HTMLの文法にうるさい人を「HTML原理主義者」と揶揄して笑っている人たちは、ウェブページをHTMLで書いていないのだ。仮にそれらの一見HTMLな非HTMLを総称してFMLと名づけよう。FはFusigiのF、FantasyのF、FreeのF、なんでもいい。FMLインスタンスを書いていたのに、それは「HTMLで書くべきだ」「HTMLの文法に違反している」と言われたとしたら? それは確かにHTML原理主義者と揶揄する理由として、もっともなものだ。
だがちょっと待てよ。FMLには文法がないし、かつ要素名等がHTMLに酷似しているんだよ。しばしばtext/htmlでserveされるし、保存しようとすると「HTMLのみ」とかいう選択肢も出てくることもしばしば。これをHTMLだと誤解しない奴がいるかと。そして前節はFMLという言語があるという仮定があってこそのものだ。もちろん実際にはそんなものは存在しない、いや正確に言うとFMLを書く人間の脳内にのみ、FMLは存在している。多くの場合、「IE」でうまく表示できるかどうかがその文法にかなっているかを判別する方法だ。
――全く取るに足らないな。なんか、イケナイ言葉を覚えたてで使ってみた中学生とか、そういうレベル。