私の舉げた「D」は、イコール「A」であり、その假定の正しきことを証明したわけ(つまり「C」の否定)だが、その邊は例によつて素つ飛ばしてゐる。
Dは「物事を状況に応じて妥当に伝えるのが言葉の役割」、Aは「物事を正確に伝えるのが言葉の役割」。イコールではない。
「正確に物事を傳えること」を言葉の役割だと考へるならば、そしてその物事が、單純に割り切れるやうな性格のものではないならば(それが現實であるはず)、必然、勸善懲惡な、或いは片一方だけを採り挙げるやり方は、「惡い言葉の遣ひ方」といふことになる。
仮定1は仮定1'に変更される:
仮定1'および仮定2から、この結論は導けない。
さて、複雑な物事の一面だけ伝えることは時に必要であり、そのことで心の葛藤を生み、大いに悩んでいる人もいる。「悪い言葉の使い方」などと単純に割り切れないだろう。
さて。ほっとな時間です。どうやら議論は強制終了されたようなので。
そふぃあさんは、都合の惡いところは無視すれば「勝てる」と思つてゐる。
この人一体どれだけ天狗なのかは知らないが、こういう滅茶苦茶な断定が多すぎる。都合が悪いから無視したんじゃあなくて、とりあえず最初の論点を議論してからでないと収拾がつかなくなるから後回しにしただけに決まっているじゃあないか。まあそうでなくても採り上げる価値もない論点ばかりだが。例えば加納さんは私が不誠実だという。しかし誤解だと主張するのに時間を割いて、それが言い訳以外の何になるというのか。「頭のいい」そふぃあさんだのなんだの散々嫌味な言い方をされた。しかし嫌味だ無礼だ議論にならぬと反駁したところで、それが私にとって、読者にとって、議論にとって何か意味があるのか? 少しでも考えられる人間なら無視する。野嵜さんがうまいことまとめてくれてゐる。といふか、本當にぐだぐだになつた。私も惡い。
などと反省したふりをしつつ、取り敢へず瑣末な點を舉げれば
などと言って全く関係のないファシズム定義の問題に引っ張ろうとする。当然選択肢としては「無視」一本だ。もちろん、採り上げるべき副次的論点もある。あるにはあるが、後回しにしないと読者は何が何だかわからなくなる。読者というのは主に加納さんだが。わらい。
尚、Hatena::agendaのニュースリソース的特性には合わないから、それらの論点については本サイトPersonnelの方できっちり採り上げて検討する。既に捨て台詞を吐いて無関心を宣言しているようだがそんな都合は知ったことじゃあない。
というか既に加納氏、逃亡して記事が見つからない。何が「無礼」だよ馬鹿野郎。記事を消してしまったら反論のしようがない。ウェブでこういう子供の遊びみたいなことをやる奴が俺は大嫌いなんだよ。