Jintrick.netagenda2005年09月アーカイブ → 2005年09月28日

Re: jintrickさんへの返信 3

私の反論の目的は、稚拙で粗雑な人間が政治的人間ではありえないと主張することとは譯が分からない。一體いつ私が「政治的人間 = 稚拙で粗雑」と主張したのだらうか。

加納さんがそう主張したと私は言っていません。私のゴールを述べただけですが、訳が分からなくてもそれほど問題はありません。

閑話休題。当然ありません。だって私は「正確に物事を傳えること」を言葉の役割だと考へるならばという仮定を否定するという基礎的な反論をしただけなることを仰つてゐて、これは私も惡いので謝ります。すみません。私の意圖は、「わざわざ正しいと表現する必要はない。ある場面において妥當である、といへばいいだけです」といふ反論で集約されてゐます。あとの文章は jintrick さんへの反論としては不適格(一般論とごつちやになつてゐる)なので、議論から除けます。なので、jintrick さんはその點について反論を下さると助かります。

加納さんのサイトです。一般論等々と混ざっていてもそういうスタイルなのなら構いません。私は私で検討すべきところだけ検討していますから大丈夫です。また、その点について反論はありません。何故ないかを述べておきます。

妥当
その判断(や処置)が、その場合だけでなく、同類のすべてにも当てはまる正しいものであること。岩波国語辞典
物事の実情などによくあてはまっていること。考え方や処理の仕方に無理なところがなく適切であること。また、そのさま。だとう ―たう 0 【妥当】 - goo 辞書

「AならばBである」と加納さんは言った。私はBを否定する為AをCに訂正した。加納さんはCの表現方法を改めてC'とした。私は特にそれに異議を唱えません。

ウェブだから「公」の話しかしてはいけないだとか、「私心」を垂れ流してはいけないだとか、 そもそもそういう二分法自体が非常に粗雑で稚拙である。

簡單にいへば、「時・場・場合」によつて存在する文脈を、原則論だけで顧みない「言い方」や文章、文體(style)が「稚拙で粗雑」だと批判してゐる。jintrick さんは、的外れな批判をしてゐる。

最初からそう反論すればなるほどと納得をして終わったはずだが、実際の加納氏の反応は:

そしてここから私の反論は始まる。

「正確に物事を傳える傳へること」を言葉の役割だと考へるならば、そしてその物事が、單純に割り切れるやうな性格のものではないならば(それが現實であるはず)、必然、勸善懲惡な、或いは片一方だけを採り挙げるやり方は、「惡い言葉の遣ひ方」といふことになる。雙方に一部の眞理が認められるならば、それぞれの眞理に見あふやり方で、昇華する必要があるわけです。


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公開: 2005年09月28日
カテゴリ: 意見交換, 批判等