Jintrick.netagenda2004年02月アーカイブ → 2004年02月22日

Re: 2/22(日)自家撞着

問題意識があるなら、極力抽象化せずに直接対象者と対話すべきでは無いだろうか?確かに抽象化の罠には俺も自分で良く嵌るし、内容が批判的であったり返り血を浴びたくなかったり、諸所諸事情があることも多くある。だが、メタ化すればするほど対象者以外に無差別に、心当たりを揺さぶり出す嫌らしいベクトルを持つことも事実だ。伝えたい内容があるなら、方向性や定義する範囲をより厳密にすべきだと思う。

抽象化や一般論が原因ではなく、不愉快云々という感情が根拠になっていることが嫌らしいベクトルを生む原因になっているのではなくて? 不愉快ですと言われても、はいそうですかと答えるより他無いのだから。少なくともそんなものが根拠になっている限り対話する価値なし。例によって「最後に言い訳をして逃げを打つ」という典型的な特徴が現れているし。

不愉快という判断の前に根拠があると俺は読み取りましたが、ご指摘の通り不愉快が先にあって後付で言葉に落としたという見方もありますね。

「不愉快という判断」ですか。感情は常に判断の前にあります。それは兎も角、一般論を無闇に否定するのはよろしくないということを申し上げたい。

メタ化すればするほど対象者以外に無差別に、心当たりを揺さぶり出す嫌らしいベクトルを持つことも事実だ。

これは本当に事実ですか? 私は「メタ化」なるもの自体に嫌らしいベクトルを感じられません。嫌らしさは、アンチ感情などを全く洗練せずに文章化したものに宿っているように思います。

一般論を無闇に否定する意図はありませんが、対象を無差別に広げた一般を模した別の何かが一般論のようなフリをして私見を振り回すことは、ままあるように思います。最終的にどう落ち着くかは判らなくともそう捉えられる隙があるのであれば、言及先に無い対象を巻き込むし、真意や対象を問われることも当然の経緯としてあるでしょう。

自分もその対象に含まれている場合、批判内容がreasonableなら反省すればよいし、幼稚なら無視するなり(暇なら)その幼稚性を批判してみれば良いのであって、対象を無差別に広げることの何が問題なのかが見えてこないのです。なんとなく不愉快というのなら、それはただの煩悩ではありませんか。

他に一例を挙げるなら、以下のDACさんの意図が読み取れなかったので、私が何か論点を勘違いしているような気もしますが、勘違いしていたとすれば恐らくそれは私の関心外です。


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公開: 2004年02月22日
カテゴリ: 意見交換, 批判等