Jintrick.netagenda2003年10月アーカイブ → 2003年10月28日

Re: 備忘録031001-31/趣味のWebデザイン

「閲覧者に対する啓蒙」と「製作者に対して文字サイズ固定を禁止する」という二つの行為は、どういう理屈で矛盾しますか?

という私の質問。そして以下、徳保さんの回答:

CSSによる文字サイズの固定が問題となるのはIEの機能に精通していない閲覧者が多いからでしかなく、本質的な問題ではない。そもそも製作者CSSはユーザCSSで上書きでき、IEではユーザ補助の機能を用いればもっと簡単に問題を解消できる。WAI1.0が文字サイズの相対指定を優先度2としているのは、閲覧者の啓蒙を諦めているからに過ぎず、本来ならばCSSで文字サイズを固定しても問題はない。(だからCSSに文字サイズを固定する方法が用意された)

現在よくある議論では現実論と原則論がごっちゃになっているため、IEのユーザ補助が大々的に取り上げられることが少ない。逆に「IEでは文字サイズの固定を解除できない」という誤解を助長する記事が多過ぎる。ユーザ補助がマニアックな機能となっていることは認めるが、「文字サイズは本来やっていいことなのだが」という点を見落としている人が多過ぎないだろうか。

現実的な解として「文字サイズは相対指定すべき」というのではなく、問答無用でそう主張するのは、私はどうかと思う。ユーザの不勉強を無批判に受け入れるのは、正しくないと考えるからだ。(啓蒙されうる例外的ケースの芽をも摘むことになる

一応確認します。抽出すると三行になってしまいましたが、こういうことですか?

  1. 閲覧者が啓蒙されたかもしれないシチュエーションを奪う
  2. 「IEでは文字サイズの固定を解除できない」という誤解を助長する。故に、
  3. 文字サイズ固定を禁止する行為と、閲覧者を啓蒙する行為は矛盾する

お互いの誤解が拡大しながら論点が発散してゆく馬鹿な議論をしたくありませんから、一つずつ確認してゆきます。

徳保さんの批判というか主張にコメントしてみます。

たとえ製作者がどれほど配慮してもすべての閲覧者にとって望ましいスタイルにはならないので、閲覧者は製作者の用意するスタイルを基本的に無視し、自分好みのデザインでの閲覧を常態化すべきです(自分の理想とする表現が世の中の唯一絶対の理想的表現ではない以上、製作者に期待しても待ちぼうけを食うだけ/製作者は製作者の理想とする表現を追求するが、それは個々の閲覧者の理想と一致しない)。

先頭辺りに一つ条件節を補えば、私も同意です。その条件節とは:

この条件節を考慮に入れない場合、(閲覧者は)自分好みのデザインで閲覧を常態化すべきとは言えません。即ちここが論理的飛躍です。

閲覧者は、自分にとって望ましいと思うスタイルにする必要はありません。以下理由。


製作者が自縄自縛に陥るのは、閲覧者がスタイルを上書きしないでよいように気を回しているからに過ぎず、本来、製作者は仕様の許す表現を自粛する必要はない。例えば製作者が表示領域の理想の横幅は800pxだと確信しているなら、そのようにスタイルを組めばよい。そのスタイルに不満を感じる閲覧者は、単にそのスタイルを無視すればよいのだから、製作者は余計な心配をしなくてよい。

その通りです。私も何も問題ないということはどこかに書いた筈ですが、どこだか忘れました。

そふぃあさんの掲げる目標が現実には意味をもっているのは、閲覧者が怠惰で、発生した問題に対して製作者による改善を望んでいるからです。そして製作者も自分の用意したスタイルをそのまま利用してほしいと願っているからです。

その通りです。ただ怠惰という表現には違和感がありますが。

しかしそれはあくまでも現実論です。原則論としては、製作者は仕様の範囲内で自由にしてよい。でなければ、W3Cはそもそも文字サイズの絶対指定を仕様に含めなかったはずです。

自由は前提として存在しています。その上で制約を課し、より良いスタイルシートを追求することができます。自由であるとは、自由にしなければならない、あるいは制約を課してはならない、ということではありません。徳保さんはもちろんご存知でしょう?

より良いスタイルシートがあるのですから、より悪いスタイルシートもあります。その時、何が悪いのかを、きちんと筋道を立てて批判するのは私の権利です。そしてその批判は、好きなようにスタイルシートを書く自由を微塵も制限しません。もちろんご存知でしょう?

で、徳保さんは、自由だからなんだと言いたいのですか? 批判を止めろと言いたいのですか?

「自由である」を論拠として結論を導く事を私がどれだけ嫌っているか、徳保さんはご存じないのでしょうか。結構私の書いたものを読んでいただいているようですが。




質問の一部には答えていただきました。

本当に啓蒙できると考えていますか?
できないでしょうね
どのような方法で啓蒙するのですか?
回答なし
「閲覧者に対する啓蒙」と「製作者に対して文字サイズ固定を禁止する」という二つの行為は、どういう理屈で矛盾しますか?
回答なし

最後の質問に回答いただけない理由はこれですか?

大衆への啓蒙など実際には不可能です。けれども、それは私の観点からすればまったく本質から外れた話です。(実際にどうできるかを話の本質とするならば、私の主張は取るに足らない観念論でしょう。しかし前提の相違を無視した批判は勘弁していただきたい。なぜなら、その前提のもとで語るなら、私も意見が変わるからです)

その手の反応を予期して私は「啓蒙できるできないに拘らず」と書いた筈ですが。それに、まだ批判はしていません。質問です。

逆に質問されているようなのでお答えします。

次の私の問いかけ:

製作者CSSを閲覧者に押し付けたい? まあ言葉を歪曲すればそうなるでしょうが、なるべくユーザースタイルシートなど使わせずに、自分の作ったスタイルで見てもらいたいと考えるのは、極自然なことではないですか?

これに対して、徳保さんはこう答えられました。

ここでそふぃあさんがおっしゃる極自然とは、単にわけもなくそう思っている人が多いという意味でしかないではありませんか。その理屈を通すなら、サイト内移動のためのリンクは大勢が望むものだから、認めるのが正しいということになりませんか。

その理屈を通すならと言われても、私は、極自然だから、という理由をもって、何かが正しいなどという主張はしていません。従って、その理屈の意味が分かりません。

批判もあるようなのでお答えします。

次の私の意見:

より良いscreenメディア向けスタイルシートを追求したなら、解像度非依存、閲覧方法を邪魔しないといった方向に向かうはずです。例えば伝統的な方法による簡単な文字サイズの制御、これは可能な限り許す方向に向かうでしょう。

これについて、徳保さんはこう述べられました。

実際には、そうはなっていません。文字サイズを固定する製作者は、よかれと思ってそうするのだし、実際、少なからぬ閲覧者がそれで喜ぶのです。テーブルレイアウトなどされたら、ユーザCSSでレイアウトをいじる自由が大幅に制限されます。それでも、大半の閲覧者はそんなことを気にせず、リッチなレイアウト(?)を歓迎します。

私の主張に対する肯定でも否定でも、補足でも無いようですが、さて、実際には、そうはなっていません、の意味が分かりません。無駄な推量を取り払った形式でもう一度しっかり書きましょうか。

より良いscreenメディア向けのスタイルシートに接近する方法は、解像度に依存せず、そのメディア特有の閲覧方法を邪魔しないようにすることである。従って、その接近方法においては、伝統的な方法による簡単な文字サイズの制御は許容される。

「実際にどうなっているか」、「文字サイズを固定する製作者」「少なからぬ閲覧者が喜ぶかどうか」の話はしていないことを、理解していただけましたか?


というか「テキストサイトの中の人」は、人の主張論説から命題を抽出して論理的に検討するという作業をしないのですか。


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公開: 2003年10月28日
カテゴリ: CSS ,意見交換, 批判等