ウェブサイトにとって最も重要なのは、伝えること、あるいは伝わることである。表現可能性が気に食わないからといって文法を無視した異常なマークアップをするのは、正に本末転倒。物事を考える人間にとって「本末転倒」ほど恥ずかしいことは無い。ある視覚的な表現形式そのものをも伝えたいのだとしたら、HTMLという道具を使うのは、無知であるかあるいは、WWWに感謝の無い証拠である。その「感謝」について。
「文法なんて無視してもいいじゃん。自由じゃん。」という己の不誠実さを平気で、しかも WWW上で暴露するのを、野蛮な、侵略者の暴言として私は見ている。
だってさ、"仕様"ってのは守るべきルールとして決められているものであって、それは(建前上)守ってしかるべきものであると思うんだけど。「一般的にこういう(本来仕様で定められていない)使い方が一般化している以上、仕様に即していない使い方だが認めてもいいのではないか」などという議論が出てくること自体なんかヘンだよ。
管理人のコラム6 より
まっとうな人間なら、当然感じるであろうこのような違和感を、私も(恐らく人より)強く感じるのである。インターネットの仕組みをタダで利用している
一ユーザーとして。
文法違反を釈明するにしても、無断リンク禁止を正当化するにしても、なぜそういう主張をする人々は申しわけなさそうな態度を取れないのであろうか。それはもちろん、WWWにしろ何にしろ、自分こそ主役であって、感謝する気持ちなど初めから無いからである。
「誠に申しわけありませんが、これこれこういう特別の事情がございまして、リンクする際にはご連絡いただければ幸いです。自分勝手は承知ですが、よろしくお願いいたします。」
これが、筋というものである。ルールや、理念といったものを打ち破って、尚且つ説得力を持つ、あるいは人の心を動かす主張があるとすれば、その背景には必ず感謝がある。感謝の無い人間に、感謝することを忘れた人間に、人の心を動かすことなどできはしないのである。
日本人の言う「自由」に違和感を訴えるものが多いのは、「与えられた自由」だからではない。その「自由」に誰一人感謝を感じていないからである。先人が勝ち取った自由であれ、与えられた自由であれ、感謝がなければ、全て虚しいのである。敬意と言い換えてもいい。が、依然としてその本質は、感謝の念に違いあるまい。
「情けは人の為にあらず」という。ボランティア同様、感謝も人の為ならず。虚しく日を過ぐことの無いように、生活に意味を与える為、自分の為にすべき事である。