Jintrick.netagenda2002年04月アーカイブ → 2002年04月15日

公共の場

ウェブは公共の場であり、公共の場では客觀的な意見を述べるべきです。

闇黒日記 より

ウェブは本当に公共の場だろうか。もしそうなら、公共の場で一人鍵をかけて「私有地」を作ってしまうのは反則ということになる。そもそも反則と言っても公共性を守る為の管理者がいるわけでもないのだから「極めて混沌とした場である」としか言えない。もしくは「公共の場であるべきである」と主張することはできる。

というわけで、「ウェブは公共の場であるべきである」と思っている私は、一部のサーバーサイドスクリプトが大嫌い。具体的には、管理者と名乗る人間が勝手にログを削除できる掲示板が大嫌い。折角リンクというものがあるのに、こういう不心得な「管理者」がいるものだから、各々保存しなければならなかったり、転載しなければならないこともしばしば。

余談。本屋で、「個人Webデータベースの作り方」なる本を見た。URIをパスワードにするんだそうな。

ふと、某アレを利用する手を今更思い出して、「死んだリソース」を復活させることを試みてみた。

こころのたな。氏 対 ネチケット千夜一夜氏 のリンク論争の残骸があります(8/12以降)。当時は本当に興味深く読んだものでした。)

読み返してみると、「いたろう」と名乗る投稿者の発言、態度が矛盾だらけで胃が痛くなってくる。件の最初の発言(00/08/20 17:14:33)からして、自由であるべきでしょうが結論にきている。

経験上、「自由である」を結論にする発言が正しかったことは一度としてない。「自由である」は多くの場合前提であることは何度も書いた。

と、思ったら一度だけあった。JavaScriptは犯罪幇助だ、という主張?に対して、「いや、自由でしょう」というやりとり。わらい。犯罪であるかどうかが争点であるような場合なら、あり得る。しかしある行為がナンセンスだという主張に対して「いや、自由だ」というのは完全に馬鹿にしているとしか思えない。本質的に自由だなんてことは誰だって知っているからだ。

それはともかく、それまで完全に「こころのたな。」氏の意見に賛同していたところへきて再考させられたのが、ネチケット千夜一夜氏の発言( - 00/08/22 08:41:15)だ。 中身を読む限りもっともらしくて頷ける部分も多いのだが、結局のところ、本人も書いている通り:

結論から言うと、私は『作者の希望を尊重する』というのがネチケットだと思っています。

ねちけっと掲示板2000 より

これが結論であって、全く同意できないのだ。何故なら「ウェブは公共の場であるべき」であり、福祉の方を優先すべきだからである。作者の希望とやらがそれに反している場合、そのようなものを守るのがネチケットではあるまい。それは個人的な気遣いである。


とまあ、こんな風に色々考えさせられた記念すべきリソースなのでありますよ(管理者権限で勝手にリソースを削除する行為の非に気づいたのもこの思索がきっかけ)。しかし、管理者の「個人的な気遣い」により、ログはあっさりと削除されました。そういう人が、ネチケットについて色々語っているのです。このねちけっと掲示板2000を管理している方が運営している「ネチケットを笑い飛ばせ」には、「ネットワークで嫌われない為にはどうすればよいか」が細かく書かれていますが、ネチケットとの関係は不明です。

一投稿者の事情を勝手に推測などせず、現在、将来の閲覧者のためにログを残す努力をするのは「ネチケット」と呼ばれて良い、と私は胸を張って主張します。自由な参照が簡単にできるというのは、WWWの最も重要な特徴の一つであって、それを個人的な事情で損ね、他のリンクしている運営者に迷惑をかけ、デッドリンク等々の無駄なトラフィックを生じさせる、という事実は、程度の差こそあれ、チェーンメイルと似たようなものではないですか。


読み直してから考えた命題。

リンクに対する制限を肯定する論者は、従って、「ウェブは公共の場であるべきではない」という主張をしなければならない。

話はそれから。


「リンクするな」と、「なるべくリンクはトップページにお願いします」は違うというのはネチケット千夜一夜氏の主張。確かに違う。後者のほうがある意味で悪質だ。弱者を装っているからである。そしてその「弱者のお願い」を無視された時、「マナー違反」だの「人として駄目」だの散々の悪態をつかれる恐れがある。公開されなかったとしても陰口を叩かれる恐れがある。そういう陰湿なやり方の温床を作ってしまう。だから、ナンセンスだと言うのだ。


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公開: 2002年04月15日
カテゴリ: misc