フィードバックとは、ある行為に対して応答するというような意味です。コミュニケーションにおいて、フィードバックとは、例えばある訪問者が「はじめまして」と言って掲示板に書きこんでくれたとします。そこでそのページのマスターは、「ようこそ」のように、返事をお礼などを返信することです。ポイントは、ただフィードバックをすることではなく、フィードバックの内容と方法です。
ほーむぺーじ論|コンセプト編|コミュニケーションとフィードバック より
何故わざわざフィードバックという言葉を持ち出すのだろうか。「応答」で済む話なのに。それらしく表現すればレスポンスとか。ともかく、フィードバックを送った経験があるなら、必ず違和感を覚えるはず。観念でしかない言葉を使って、思想を飾り立てようとすると、訳の分からない主張になってしまう。気をつけないといけない。
そういえば最近、自分の意志とはあまり関係なくマイクロソフトにフィードバックを送ることが多いような(無関係)。
- フィードバック
- [feedback](名)スル
- 入力と出力のあるシステムで、出力に応じて入力を変化させること。増幅器や自動制御などの電気回路に多く使われる。帰還。
- 心理学・教育学で、行動や反応をその結果を参考にして修正し、より適切なものにしていく仕組み。
- 転じて、結果を原因に反映させて自動的に調節していくこと。「消費者の声を生産者に―する」
折角、応答、反応が色々あったのに、一向に「フィードバック」しない人がフィードバックを語る。先月、かなりの長文を書いたのだけど、送らなくて良かったのかも知れない。誤字などがあったからといってこちらには何ら不利益がないのだし、それでいて報告しても修正されないとなるとがっかりするより他ないのだから。批判、指摘などはメールで送れと強要する人間は、ちと頭がどうかしているのではないか。少なくとも私の思想上の敵である。
私はむしろ積極的に(あつかましいほど)誤りの指摘などは行っているつもり。ただし思想的に賛同できるサイトの管理者に限る。そして大抵の場合、当然のように歓迎される。逆にいえば、そういうサイトの管理者にしか送らない。送りたくない。自分が使っている商品へのクレームなどではないのだから。
自分に対する(あるいはそう感じる)批判をどこかで発見したとしたら、それは「めっけもん」であって、私など実にありがたいと思う。なぜならこっそり修正したり、自問したりすることができるからである。メールなどの形で来たとしたら、それは「ありがたいもの」であって、強制、強要するような類のものではない。
掲示板はどうか。
掲示板での議論など、結局は言い繕うだけに終始してしまうことがあまりに多い。「ものはいいよう」。少しばかり頭をひねって考えれば、言い訳など幾らでも生産できるものだ。しかし、言い訳以外のものは滅多に生産されない。客観的に評価し、自分に素直に反映させることができるのはROMだけであって、良い掲示板論者は、ROMの為の生贄であることを自覚し、それに喜びを感じていると想像する(違うかもしれない)。ROMとは何か。読者である。読者は、本の著者の主張に少なからず耳を傾けることができる。自問することができる。そのために読むのだから。
同じ主張を何度も何度も繰り返している気がする。しかもまたタイトルとは別件の話に。そうでもないか。そうでもないな。